2013年6月11日火曜日

06:10:2013 パート321


パート321

2013年6月10日

 

The manuscript of survival – part 321


 

親愛なる皆さん、皆さんは長らくの間四苦八苦しながらコツコツと取り組んできましたね。多くの人は忍耐も身体ももう限界まできているようです。皆さんはこのプロセスに心から身を委ねてきました。内側でも外側でも光に身を任せてきました。それでもまだ重いハートと疲れ切った身体でもって至るところに潜む闇を見ているようですね。皆さんは疑問に思います、光はどこなんだろう?至福や奇跡、自分がこんなにも長い間待ち望んできたものはどこにあるのだろう?と。

 
ええ、それはそこにあります。しかし皆さんの戦いに疲れたハートはそれをなかなか認めることができません。皆さんは長旅のせいで痣だらけ、痛みが消えません。あんなに望んでいた癒しは、皆さんがまだ拾い続けている背景音にまぎれてしまい、見分けがつかなくなっています。ですから再度言いましょう、自分自身と繋がってください。静寂の瞬間の中で、内なる声、安心させてくれる声がこう言うのが皆さんに聞こえるでしょうか。「私はここです、もうずいぶん長い間、ずっとここにいました。私はここにいますよ、私はあなたです。遥かなる昔からあなたはずっと探していましたね。」この静かな小さな、安心させてくれる声、この光の宝石は内側で育ち、脈動していますが、ファンファーレや花火のように盛大に鳴り響くことはありません。それは深淵な流れる川のようです。常に前進する川ですが、皆さんの人生に現れるものごとと違い、熱狂的に自ら名乗り出たりはしません。おわかりでしょうか、皆さんの内なる核はしっかりとした、確固たるものです。皆さんが時折感じる、瞬間的な恍惚感のようなものではありません。私達は喜びの本質そのものについて話しているのですが、それはただ「ある」という喜びであり、飛んだり跳ねたりして存在を知らせようとはしません。もちろん、そのような喜びも人間の一部です。ただ内なる喜びというのは本質そのものです。喜びそのものである、その味わい、感覚は繊細な振動のようなもので、皆さんのすること全てを色彩豊かに彩ります。
 

それは皆さん全員の内にあります。しかし、皆さんに向かって騒がしい信号があちこちから発されているので、そのメッセージをいつも簡単に読み取ることはできません。だから繰り返し言うのですが、座る時間をとるようにしてください。皆さんの注意を奪おうとするものは全てキャンセルするのです。そうすれば、皆さんの内のどこかにこの深淵な、広大な川が流れていることを感じていただけます。この川は滋養の源であり、決して枯れたりしません。皆さんが繋がることができなかったとしても、それはそこにないからではありません。単に、それが流れている場所を見つけられなかっただけです。
 

なぜならこの川は奥に潜んでいるかもしれません。藪や棘に視界が遮られて見通すことができない人もいます。それを見つける一番良い方法、それはいつもと同じで、それを発見しようと棘だらけの繁みの中をもがき、押し開いて前進しようとする衝動を抑えることです。そんなことをすれば、今以上にズタズタに引き裂かれるように感じるだけです。いいですか、川を見つける一番良い方法はいつもと同じ、自分自身を上昇させ、魂の高次の部分、全てがはっきりと見えているところと繋がることです。思い出してください、いま皆さんには高次からの親密な導きを求めるチャンスが与えられています。皆さんのこの高次の部分は肉体や皆さんの人間の部分に制約を受けることなく、自由に上昇しています。ですから、この喜びという内なる川の場所を見つけるのに手助けが必要なら、皆さんが自分自身に助けを求めることです。


そうすれば必ず見つけることができます。そうして皆さんは喜びと出会います。「どうか私が喜びを見つけられるよう助けてください。どこかにあるのはわかっていますが、どれだけ懸命に探しても、私は避けられているようなのです。」これが叶わないわけがありません。喜びこそ皆さんに相応しいのです。どこに見つけられるか、その本当の答えは、皆さんの内。そこにしかありません。

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