2014年2月23日日曜日

2:22:2014 パート 399


パート399

2014年2月22日

 

The manuscript of survival – part 399
http://aishanorth.wordpress.com/2014/02/22/the-manuscript-of-survival-part-399/

 

以前話したことのある話題に戻りましょう。いつも言っているように、何度でもお伝えすべき大切な話題です。今回は、時間についてです。時間については私達のメッセージで何度も出てきています。時間の概念すべては大事なテーマです。皆さんは時間には制限があると思っているようですが、その制限はこの全オペレーションの核心ともいえるテーマなのです。いいですか、人類の概念では時間はイベントが一連のライン状に伸びていて、一定のペースで展開してゆくと捉えています。そのような概念で、一定のイベントがいつどのように起きるかと考える時、皆さんに制限を課している面もあるのです。皆さんの立場から言うと、ものごとは皆さんが目撃することのできる意識レベルでのみ起きます。ですから、すべては皆さんの時間概念が設定する制限にかなっていなければならないと思っていて、そのために厳密な制限がすべてに課されているのです。こういった制限は皆さんの生き方の概念そのものの基盤となっています。皆さんは生まれて初めて息を吸い込んだ途端に時計が時を刻み始め、最後に息を引き取る瞬間まで時計がチクタクと時を刻むのを見ているのですから。そして、そのような時間はたいてい後世に残すために記録されています。そのようにして一人一人の人生はいわば確固とした一線として示されます。ある一点から始まり、他のすべての人の人生や同時に存在している人生と平行なラインを描いています。そうやって、いつ何が起きたかという概念を皆で共有しています。自分の歴史を振り返り、記録されている時間や日付を見て確認することができますからね。

 

ですから過去を振り返ったり将来の計画を立てるとき、皆さんは必ずこの厳重な時間のラインに従います。例外はありません。皆さんにとっては時間は前方と後方に向かってまっすぐ無限に伸びている細いラインです。定規のようにまっすぐで、偏差はいっさいありません。ですから、皆さんからすればこの細いラインから外に抜け落ちるものなど存在しません。そのようなものは皆さんの時間の概念に収まらないため、皆さんのマインドの中にも存在しません。空を見上げると視界に入ってくる光の「年齢」にさえ、その時間の計り方を適用していますね。夜空に見える、光輝く点までの距離についても時間に換算しています。あの星から光が皆さんに向かって発したのはいつ、というように。このように、皆さんの時間の概念は皆さんが目にするものすべてに適用されており、また同時にすべてをその細いラインの中に押し込めているのです。

 

私達にとって時間の概念はまったく別物です。そろそろ皆さんも、自分が知っていた時間とは違う感じ方をし始めているのではないでしょうか。私達からすれば時間はあらゆる形でとても順応性の高いテーマで、皆さんの多くにとっても同じ成形性を帯びています。以前は時間は確定的で不変のリズムを保ち、時計で計ることができ、これ以上頼りになるものは他にありませんでした。ところが、多くの人がもう時間をそのように感じなくなってゆきます。「時間を守ろう」と考えているとバランスが崩されてしまいます。そしてすべての経過を追おうとしても、なかなかできなくなります。どんなことであろうと、少し振り返って自分がやっていたことを説明しようとすると-通常なら楽に頭の中に置いておける概念ですが-定義されたタイムライン上に出来事を並べようとしてもすぐにはわからなくなっているはずです。これまで簡単にできていたことがもうできなくなり、このまっすぐではっきりしたラインは曲がりくねり始め、曖昧になってゆきます。そして下手なミュージシャンがアコーディオンを弾いているかのように勝手に元に戻ったり伸びたり、圧縮したります。時間上ではほとんど同じ点で2つのことが起きても、それぞれが別の方向に向かってどんどん離れた方向に伸びてゆきます。と同時に、数十年の間隔を開けて起きたことがほとんど同時に起きたかのように感じたりします。このようななことがもうすでに起きている人もいるはずです。そこで私達はお伝えしに来ました。皆さんは、ずっと長い間閉じ込められていた古い障害物-ええ、時間のことです-を突破しつつあり、そのサインとしてそういうことが起きているのです。

 

皆さんが時間をライン状であるという古い束縛を打破すると、あらゆる他の側面においても皆さんははるかに自由となります。他の全人類が変わらないまま時計の古いビートに合わせ、何としてでもこれまで通りの行進を続けようとしていても、皆さんは言葉通りタイム・トラベラーとなってゆくのです。皆さんが線形の時間という古い制限を排して進んでゆけば、あらゆる新しい次元が存在していることが見えてきます。皆さんがこれまで経験してきた古い、一点に向かうことしかできない次元の他にもあらゆる次元が同時に存在し、皆さんは探究を始めるのです。ええ、一点に向かうことしかできないという表現を使うのにも意図があります。皆さんはこれまで厳格に定義された細い時間のラインの中でしか存在していないかのように生きてきました。誕生の時点から伸び始め、死を迎えると突然また切断される、単波帯を広げるかのように古い生き方を繰り返してきました。ですが、これから皆さんは多次元バージョンの皆さん自身を経験し始めます。始まりも終わりもなく、ただ時間の帯の無限のサイクルの中ですべてが集結します。それはメビウスの帯が自らの尾をくわえ、知識と経験を無限に追い求めて旋回しているのに似ています。人間の人生という細い帯は今のところは砂に書かれた小さなただのラインでしかありませんが、この先皆さんはビーチ全体を、そしてさらなるものを探究してゆくことになります。

 

人間の人生は砂に刻まれた細くて小さなわだちでしかありません。皆さんが教え込まれてきた従うべきタイムラインは狭い壁を築いていますから、視界はとても狭小です。ですが、皆さんの目の前でこの壁が崩れ去ってゆきます。もう今後は時間を拘束衣のようにとらえなくてもよいのだと分かり始めます。そして「時間が足りなくなる」という概念さえ喜びとなり、絶望したりフラストレーションを感じることはなくなります。なぜなら、時間が足りなくなることなど皆さんにとっては不可能となるからです。時間は皆さんが自在に使えるものとなり、その反対ではなくなるのです。以前は、皆さんは人生は時計が決めるのでそれにしたがって生きざるを得ないとに感じていました。そのため、秒、分、時間は砂の中にこぼれてゆき、足りなくなるばかりで二度と戻すことなどできないと思っていました。まさに「いま」をうまく活用しなければ、もう二度と以前に戻ることはありませんから「無駄になった時間」と定義されていたわけです。ですが、無駄になった時間などというものは存在しません。今は分かりづらいかもしれませんが、間もなくそれがおわかりになることでしょう。

 

先ほど言いましたように、時間はとても順応性が高く、時間は皆さんと対話すらできます。対話と言うのは意思を交流させることができるという意味です。いいですか、時間が決まった区切りによって制限を受けることはもうありません。何秒、何分、何時間という風に単位で区切って同一に計ることはもうできないのです。他のすべての創造物から人類を隔てているあの壁の向こうを皆さんがのぞき始めれば、皆さんの人生は「時間を区切る」という概念から解放されます。そうなれば、皆さんはとても簡単にこの「区切り」の向こうに行ったりこちらに戻ったりができるのだ、とわかります。さらに、創造物の多次元「ケーキ」のあらゆる層の間を移動することで、「時間」の概念にもありとあらゆるバージョンがあり、皆さんはあらゆる時間の概念を行き来することになります。それも理解できることでしょう。

 

大勢の人が、このメッセージの内容をなかなか理解できないだろうと思います。要約しましょう。いま、あらゆるすべての意味において壁は崩壊しています。その結果の一つとして、時間の経過を追うことができなくなる感覚が皆さんに生じます。人間の定義による時間、という意味でです。ですから、時間差を感じたり奇妙なことが起きたり矛盾が生じたり、それが果てしなく続く場合もありますが、それは皆さんを繋ぎとめている三次元の制限という古い糸から解かれているサインに過ぎません。あの時と今との区切りをどのようにまたがって行き来するかについては、これまでとは全く異なる方法でわかり始めます。さらに、この糸に解かれると新しいバランスもやってきます。同時に二カ所に存在するという概念を理解し始めるためです。いっさいの古いもの、特に時間の古い概念から断絶されせねばこの概念を理解することはできないのです。

 

もう一度言いますが、シンプルに流れにのってください。皆さんのマインドが理解できる域をはるかに超えるところに連れていかれそうになっても、ただ身を任せてください。皆さんを間違ったところへ連れてゆくようなことは決して起こりません。いま皆さんはよく知っている水の中にいますが、真新しい水の中へと連れてゆくだけです。誰も入ったことのないその水は皆さんを古いものから解放し、新しい世界へダイビングさせてくれるでしょう。

2 件のコメント:

  1. ひゃっきー2014年2月24日 1:42

    素晴らしい\(^o^)/
    いつも名訳、ありがとう。

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  2. いつも読んでくださってるのですね。ありがとうございます。
    まだまだですが、これからも有難く翻訳させていただきます。

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